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スイス時計産業の集合体としてのロイヤル オーク オフショア

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呆れるほど広い意味で一般論的な話をすると、コレクター層がロイヤル オーク ジャンボやパーペチュアルを身に着けている一方で、その他の層の人々は、それ以外のモデルを身に着けている。「それ以外のモデル」というのは、ひと言でいえばオフショアのことだ。 オフショアは、1993年にモダンでスポーティなクロノグラフとして発売された。 実際、AP初のスポーツクロノグラフであり、今回レビューしているロイヤル オーク クロノグラフの初出を遡ること5年も前のモデルである。

 ロイヤル オーク オフショア クロノグラフの原型をデザインしたのは、AP社のジュニアデザイナー、エマニュエル・ギュエ氏(45歳:掲載当時)だ。 当時、彼は22歳で、ジェラルド・ジェンタの後任としてオーデマ ピゲのデザイン部門を率いていたジャクリーヌ・ディミエ氏の指導を受けていた。 APのCEOには、今ではオメガのCEOとしておなじみのステファン・ウルクハート氏が就いていた(掲載当時:同氏は2016年にオメガを退任)。

 通常モデルの販売が伸び悩んでいたことから、ウルクハート氏は“若者向けのロイヤル オーク”が必要だとギュエ氏に伝えた。 防水性能を備えた大型のクロノグラフを作るというアイデアは、当時のAP社や業界全体にとって、まったく異質なものだった。このモデルが発表された1972年、スティール製高級スポーツウォッチなど、どこも作っていなかったように、当時は高級スポーツクロノグラフを製造するメーカーはなかったことは特筆すべき点だ。

 AP社内でもこの新しいコンセプトが正しいかどうか、確信がなかった。プロジェクトは5回以上頓挫し、"ザ・ビースト(獣) "というニックネームで呼ばれていた。特に、プッシャーやリューズにシリコンをはじめとする新素材を使うことにこだわったため、生産が何度も遅延した。また、AP社はオフショアのケースに対応するムーブメントを製造していなかった。ジャガー・ルクルトのクロノグラフモジュールが最も近いものだったが、当時の42mmは巨大で、かなりの厚みがあったため、ムーブメントを耐磁リングに収めた。本質的には苦肉の策であったが、オフショアの初期のセールスポイントともなった。

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ウルクハート氏肝煎りのロイヤル オーク誕生20周年(1992年)を記念した「若者のためのロイヤル オーク」の発表は、結局間に合うことはなかった。そして、1993年のバーゼルワールドで、この時計を発表することになったが、決して歓迎されたわけではなかった。ギュエ氏はジャーナリストのミゲル・セブラ氏に、“ジェラルド・ジェンタがブースに乗り込んできて、『私のロイヤル オークは完全に台無しにされた』と叫んだ”と語ったそうだ。

 1972年にジェンタが発表したロイヤル オークへの反響と同様、このリリースには懐疑的な意見や批判が寄せられた。今では重厚で先進的な時計で知られる彼でさえ、疑問を抱いていたことをこのWorldTempusの記事でギュエ氏自身が述べている。当時ジャガー・ルクルトの製品開発責任者であった若きマックス・ブッサー氏には、"君は狂っている、こんな怪物は絶対に売れない "と強烈に皮肉られた。

 マックスをはじめとする時計業界の人々は、もちろん完全に間違っていた。 オフショア(これは100本の初回生産後に正式名称として後付けされたもので、ケースバックにオフショアのブランドロゴがないものは、希少なコレクターズアイテムとされる)は、すぐに地球上で最もホットな高級時計のひとつとなり、業界全体のデザインとクロス・プロモーションの先駆けとなった。もちろん賛否両論があり、ある人は「よい方向だ」と称賛し、別の人は「悪い方向だ」と貶した。

 オフショアは初期の頃から紆余曲折を経て、数え切れないほど多くの限定モデルが登場した。1997年、ロイヤル オークの誕生25周年を記念して、ギュエ氏とAPはオフショアのためにさまざまな新色を考案した。オフショアの限定モデルが始まったのはこの年で、アーノルド・シュワルツェネッガーの『エンド・オブ・デイズ』という、セレブレティとの初のコラボレーションモデルも考案された。PVD処理された500本限定モデルは、若いコレクターの間で大きな話題となり、今では初の "ビッグブラックウォッチ "とも言えるこのモデルを手に入れるために、小売価格よりも高い値段で購入する人さえいた。

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そこから、Jay-Z、ラスベガス、モントーク・ハイウェイ、チーム・アリンギ、チーム・アリンギ・ポラリス、レディ・チーム・アリンギ、バリチェロ、バリチェロII、バリチェロIII、プライド・オブ・メキシコ、プライド・オブ・チャイナ、プライド・オブ・ロシア、シャック、その他約4種類のシュワルツェネッガー・ウォッチ、そして数十種類の限定モデルが現れた。最近だとレブロン・ジェームズ限定モデルが登場している。

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これらの時計には、他の時計よりも歴史の評価に耐えてきたものもあり、多くの時計愛好家の意見では、まさにAPの楽しさを表現していると言えるだろう。特にミュージシャンやアスリート、ハリウッドやウォール街から絶大な支持を得ている。これらの時計はわかりやすく、集めやすいものだ。ほとんどの場合、これらの限定モデルは、カラーバリエーションやデザインが、通常ラインと微妙に異なっているだけだからだ。だが、もしこれを読んで、ちょっとした美的感覚の違いに大金を払う人がいるのかと嘲笑している人がいたら、ヴィンテージロレックス界隈がどれほどクレイジーなのか覗いてみることをお勧めする。

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しかし、オフショアは瞬く間にセレブリティやヒップホップ、アスリートたちと結びつき、139年の歴史を持つ同族経営の企業は、今や真のポップアイコンとなったのだ。誰もがオフショアを身につけていた。リック・ロス(the Bawse)はミックステープに“The Timeless Audemars Piguet Collection”というタイトルをつけ、アルバムカバーにはオフショアを身につけて中指を立てている彼の姿が描かれている。

 ル・ブラッシュを訪れたことがある人なら、これがどれほど不条理なことかわかるだろう。若く豊かな、そして多くの場合、特に趣味のいいとは言えない人々に世界的に受け入れられていることが、多くの純粋主義者たちが知名度の高いAPの着用者たちに忌々しさを感じる理由となっている。なお、オーデマ ピゲの名誉のためにもリック・ロス氏による自社ブランドのプロモーションを公式に協賛しておらず、彼らが関知しないところで行われていたことを明記しておこう。

 一方、ウブロはオフショアの劣化版で初期のキャリアを積んできた。そのため、初期の時計愛好家の間では、どちらの時計が最初に作られたのか、どのプロスポーツ選手がどのモデルとタイアップしているのか混乱が生じていた。ウブロがオフショアに対抗するために価格を上げると、消費者はこぞって両者を比較するようになったが、実際のところ、機械的には比較にならない。

 オフショアの魅力は、それを身に着けている人や様々なスタイリングについて思うところがあるものの、ウブロのビッグ・バンでも、リンデ・ウェルデリン スピドスピードでも、はたまたジラール・ペルゴ  クロノホークであろうとも、大型でアグレッシブなスタイルのスポーツクロノグラフのカテゴリーで比肩するものがないほど、最高級の仕上げを施した美しい時計であるということだ。

 オフショアに対する“時計オタク”の主な不満は、専用のクロノグラフムーブメントを採用していないということ(当時)も述べておきたい。 つまり、Ref.15400に搭載されている自動巻きCal.3120に、デュボア・デプラ社のクロノグラフモジュールを組み合わせたムーブメントを採用しているのだ。これにより、オフショアは厚みのある時計となり、純粋主義者にとっては好ましくないものとなっている。この不満をわかりやすく理解するのに、オフショアのデイト窓を見るとよい。 ダイヤルに沈みこんでいるのがわかるだろうか? しかし、時計を裏返すと、APの美しいCal.3120が目に飛び込んでくる。